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なまけたろうと登山ブログ

【奥多摩】青梅丘陵 青梅草と戦国歴史ハイキング

春を告げる花、フクジュソウ。「幸せを招く」という花言葉や、明るく元気なビタミンカラーから縁起の良い花として知られています。青梅市には、このフクジュソウの野生種といわれる青梅草(オウメソウ)の自生地があるそうです。

しかもその場所は、以前から気になっていた青梅丘陵ハイキングコースの近くだと山の大先輩が教えてくれました。となれば、今すぐ行くしかありません。え?それだけでなく山城や戦国時代の歴史も充実してるんですか!?

青梅草を求めて、いざ戦国低山を駆ける。

 

どうも、スラ男です。

 

今回は、東京都青梅市にある梅丘陵(おうめきゅうりょう)を歩いてきた時のお話です。

梅丘陵といえば「初心者向けのハイキングコース」と紹介されることもありますが、実際は全長約12kmのコース中に、何度もアップダウンを繰り返す歩き応えのあるルートです。

コース中には迫力のある辛垣城跡(からかいじょうせき)もあり、さらに周辺には戦国時代にこの地を支配していた三田氏にまつわる歴史スポットが点在しています。冒頭の青梅草も合わせれば、なかなか深みのある山旅になりそう。

歴史のお勉強に花を添えて、レッツ山城ハイキング!

 

梅丘陵(2023年2月23日)

 

青梅の豪族・三田氏ゆかりの地を訪ねる

2月下旬、早春の花を求めるハイカーさんをたくさん乗せた青梅線。しかし、二俣尾駅で降りるハイカーはなんとぼくひとりだけ。

梅丘陵へのアプローチはお隣の軍畑駅が最寄りとなりますが、今回のメインテーマは花と歴史。山へ行く前に二俣尾駅から歩いてすぐの海禅寺(かいぜんじ)に立ち寄ります。

このお寺こそ、戦国青梅を支配していた豪族、三田氏(みたし)菩提寺なのだそうです。

境内には紅白の梅が咲き始めていました。こちらのお寺は、春には桜やシャクナゲが咲き乱れる花の古刹として親しまれています。

三田氏は海禅寺をはじめ、塩船観音や武蔵御嶽神社などの社寺を手厚く保護したとのこと。こういった景色が見られるのも三田氏のおかげ!ということでしょうか。

大きなクスノキのある丘にひっそりと三田氏の供養塔がありました。まるで青梅の町並みを今も見守っているようです。

武蔵御嶽神社ファンのぼくにとっても恩人なわけですから、丁寧にお墓参り。

海禅寺でのお参りの後は、国道に沿って軍畑駅(いくさばたえき)を目指します。一風変わった地名もまた、戦国青梅に由来するもの。

付近には鎧塚(よろいづか)があり、かつてこの地で起きた三田氏と北条氏の「辛垣の合戦」による戦死者の武具を埋めるために築かれたそうな。

軍畑駅の駅舎は、三田氏の家紋である三つ巴があしらわれたオシャレなデザイン。ですが、辛垣城の戦いで三田氏は北条氏によって討ち滅ぼされてしまいます。それを知ると胸にグッとくるものがありまよねぇ…

おのれ北条氏!といいたいところですが、三田の軍勢を攻めていたのは北条氏照(ほうじょううじてる)。そんな!氏照といえば高尾山を手厚く保護してくれた人じゃないですか!おのれ戦国時代め!!

 

今は静かなかつての激戦地、辛垣城を攻略せよ

軍畑駅からは本来のハイキングコースに戻り、青梅丘陵の登山口を目指します。途中には目を惹く看板が。調べてみると、何かのアート会場のようですが…?

高水三山方面の分岐を分けて、青梅丘陵ハイキングコースの榎峠に取りつきました。前置きが長くなりましたが、いよいよ登山開始です!

 

いきなり階段の急登…!

 

実はこの青梅丘陵、軍畑側から登るといきなり最高地点に達するため、序盤が一番の踏ん張りどころなんですよね。

しかしよく整備されており、登山道は非常に歩きやすい。特に奥多摩が魅せる針葉樹林帯はぼくの大好物。え、花粉症ですか?

 

そんなの関係ねえ!

 

黙々と階段を登っていくと、本日最初のピークにして青梅丘陵の最高地点、標高494mの雷電山(らいでんやま)に到着です。

登山スタートから20分弱で休憩というのもなんですが、雷電山の山頂はちょっとだけ開けており休憩に最適です。ぼくは二俣尾駅から歩いているので、おにぎり休憩に丁度いいタイミング。

雷電山からは辛垣城跡を目指します。かつて、三田氏が北条軍を迎え撃つために築いた山城のあったところであり、戦国青梅ハイクのハイライトともいえる場所なので期待も高まります。

城跡登り口の道標があり、いよいよ山城の歴史遺構とご対面…!と行きたいところなんですが、実はぼくもそこまで山城に詳しいわけじゃないので、判別がつかないんですよねぇ(笑)。郷土史家やお城マニアが仲間にいれば…!!

なので、辛垣城を攻略する侍をイメージして気分だけでもアゲていかなければ。いや、鎧や武器とか重たい物持ってこんな山の中を駆け回った当時の侍ってすごくねえ???(錯乱)

逆に、防戦側からはこの景色。傾斜のある山城はより堅固な守りを発揮します。まあ、当時とは風景も違うのでしょうが…

登っていった先、標高456mの空間に辛垣山(からかいさん)の山頂標がぽつんとかけられていました。ここが山頂部なので、辛垣城の主郭があったところと思われます。

いい感じの見張りスペース、土塁(どるい)の遺構でしょうか。

辛垣城跡の案内板によると、この辺りの遺構は石灰石の採掘により崩れてしまい、はっきりしないそう。でもいくつか残っている箇所もあるそうで、先ほどの見張り台もそうなのかも。

案内板の先へ下りて振り返ると、両側の崖が迫りまるで天然の虎口(こぐち)のよう!※虎口は敵が攻めにくくなっている門のようなところです。

辛垣城が天嶮の要害といわれたのも、なんとなくわかるような風景。いやはや、やはり城跡めぐりはロマンがあっていいですねぇ。

 

集落を彩るフクジュソウ野生種、「青梅草」に会いに

兵どもが夢の跡、辛垣城を離れ名郷峠に出ました。ここは、所持している登山ガイドブックで何度も見た風景。その場所に実際に立つってめちゃエモいですよね。

目の前を歩くのは軽装のおじいちゃん。かなりの熟達者と見ました。早いのなんのって。

そういえば、辛垣城跡の南面にも別の城跡があるみたいで、その真上にはかつての見張り場でしょうか?物見山というピークがありました。

おお、抜群の眺望じゃないですか。これまでの道中が展望に乏しかったため、これはご褒美ですね!ちなみにこの展望は物見山のすぐ下からの眺めです(笑)。

「マスガタ山」と書き込まれた道標のあるピーク。

実はこの枡形山(ますがたやま)というのがマニア受けしてるみたい。先の「別の城跡」がこの枡形山城にあたるわけですが、その築城理由が不明瞭なため考察欲をくすぐるのかな?

梅丘陵を歩き進むと、ノスゾウ峠(ノスザワ峠)に出ました。写真ではトレイルランニングコースの案内が出ていますが、ここが冒頭でお話した青梅草の咲く栗平集落への分岐点なのです。

踏み跡は割とはっきりしており、ピンクテープなどもあるので見失わないようにたどっていきます。

斜面を下りていくと林道に出ました。その先が栗平集落です。さっそくフクジュソウがお出迎えしてくれました。

ただ、この日は雲が多く、十分な太陽が出ていないせいか閉じている個体が多い印象でした。こればかりはしょうがないか~。

それでもすごい規模の群生ですから、見応えは十分。ほかにも見学に来ているハイカーさんが何人か。

ただ、フクジュソウ群生地の目の前には民家があるので、騒音やマナー違反行為はご法度。花がきれいだからといって撮影のために踏んづけちゃうなんて行為も絶対にいけません!

そうそう、通常のフクジュソウと野生種「青梅草」の見分け方ですが、これが調べてもイマイチわかりません(笑)。花びらの外側一部分が緑がかったのものや茎が長くて花弁が一重なものが青梅草だそう。

 

もうここにあるのみんな青梅草!!

 

青梅草を堪能した後は、迷わないように来た道を戻りノスゾウ峠まで。そういえば、この三方山までで本コースの半分くらいまでです。な、長い…!

ただ道は依然として快適そのもの。トレイルランナーさんも多く、多くの方に親しまれているコースなんだなと感じます。戦国時代に戦をしていた場所とは到底思えませんね…

立派な東屋のある矢倉台、ここからも良い眺めです。

この矢倉台から青梅駅までのコースはほとんどが平坦な散歩道で、たくさんの方が歩かれていました。青梅丘陵を前後半で分けるなら、軍畑~矢倉台までは経験者向け、矢倉台から青梅までは初級者向けといったイメージです。

散歩道なのでどんどん進んじゃいます。最後の休憩所からの景色は特に絶品で、遠くには筑波山も見えました。

これで青梅丘陵ハイキングコースはフィナーレ。さあ次は!また歴史ハイクへと続きます。

 

三田氏と青梅のルーツをたどる歴史探訪、再び

梅丘陵を歩いていって、下山後は青梅駅周辺でカンパーイ!がゴールデンルートですが、今回のメインテーマは花と歴史。ぼくはさらに寄り道して…あれこれ冒頭でもやりましたね?

梅丘陵から青梅鉄道公園前に下山し、そこから徒歩5分ほどのところに三田氏ゆかりの神社、勝沼神社が見えました。

この「勝沼」という地名は三田氏がこの地を統治していた時のもので、北条氏に討たれた後、一度はその名は失われます。しかし、住民たちの働きによって勝沼の名をとり戻したのだとか。

勝沼神社を参拝後、北に20分ほど歩きます。向かう先は歴史ある名刹天寧寺(てんねいじ)。もちろん三田氏ゆかりの地なのですが、さらなるビッグネームが登場することになります。

「高峯山」の立派な扁額がついた見事な山門。境内に入ると紅白の梅がここでもお出迎えしてくれました。

さて、こちらのお寺は室町時代に三田氏によって再興されたそうなのですが、もともとは高峯寺というお寺があったそう。その高峯寺を建てたのは、あの平将門(たいらのまさかど)なんだとか!そして三田氏と将門の意外なつながりを示すものが境内にありました。

こちらの鐘楼の釣り鐘に、三田氏は将門の末裔であるという文字が刻んであります。

ただ、あくまで自称でありその真偽は不明です。三田氏の支配力のすごさから本当に将門の末裔だったのかもですが、当時の将門のネームバリューの凄さが伝わります。

そういえば将門は「青梅(おうめ)」の名の由来になった人でした。

将門がこの地に立ち寄った際、杖にしていた梅の枝を地面に刺して願掛けし、その梅は実を結びはしますが、熟することなく青々としていたことが由来なんだそうです。

歴史ロマンあふれる天寧寺から駅方面へ向かう途中にある、勝沼城跡が本日最後の歴史スポット。天寧寺南側の墓地から出てすぐのゴルフ場脇が入口です。

勝沼城は三田氏の居城として機能していましたが、後により堅固な防御力を求めて辛垣城へと居を移したとのこと。確かに。実際に登ってきたのでわかる。

勝沼城はその後、北条氏側の師岡氏が入ったため師岡城(もろおかじょう)とも。辛垣城跡よりも遺構の保存状態が良いそうなのですが、素人目には全然わからず…やはり詳しい人と一緒に歩きたい!

勝沼城跡の麓には師岡神社があり、ここのシイの巨木はかなり見応えがありました。市の天然記念物にも指定されており、ぜひ立ち寄りたいところですね。

…よく考えたら、三田氏ゆかりのお寺から始まって、最後は敵方・北条氏ゆかりの神社で締めるのか。

帰りは河辺駅まで歩いて、駅前ビル内にある「河辺温泉 梅の湯」へ。奥多摩帰りに何度か利用しており、けっこうお気に入りなんです。露天のひのき湯が源泉掛け流しで気持ち良いのですが、ちょっと手狭なんですよね…

なんて思ってたら、いつの間にか改装したのか内湯の大風呂が掛け流し(一部循環)になっていました。これなら広々として良いですね~。

温泉内のレストランで風呂上がりにちょっと一杯だけ。駅前なので帰りの電車も安心です。歴史部分については勉強不足でしたが、なかなか面白い山旅となりました。

 

梅丘陵の山旅、終わりに

以前から歩いてみたかった青梅丘陵。戦国時代の歴史遺構をめぐりに青梅草を加え、歩き応え良し見応え良しの山旅でした。青梅周辺は下山後のレパートリーも豊富なので、季節の花やレトロな町並み見学と組み合わせても楽しめそうです。

 

次はどの山に行こうかな。