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なまけたろうと登山ブログ

【秩父】城峯山 狼信仰と将門伝説、歴史を紡ぐ山物語

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秩父地方が好きで頻繁に山旅へ出かけていますが、秩父吉田地区は未踏のエリアでした。吉田といえば、アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』でも取り上げられた龍勢祭が有名なほか、ハナモモやツツジサルスベリやカイドウといった花々が楽しめるエリアでもあります。

そんな吉田地区の最奥には、明治時代に起きた秩父事件の舞台でもある標高1,038mの城峯山(じょうみねさん)が、山の物語を今に伝えています。

城峯山に眠る歴史と伝説、今も色濃く残るオオカミの足跡を辿りながら、秩父の暑い夏を満喫する山旅へ。

 

 

どうも、スラ男です。

 

 

今回は、埼玉県秩父市皆野町、そして児玉郡神川町にまたがる城峯山へ、伝説やら歴史やらオオカミやら、ぼくの好きなもの全部詰め込んだ山旅をしてきた時のお話です。

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城峯山といえば、山頂に建つ展望台から見えるパノラマが楽しみですが、山頂へ至る関東ふれあいの道では、かの平将門の伝説を辿ることができます。

ほかにも戦国時代の山城に思いを馳せたり、立派なオオカミ像のある神社で狼信仰に触れるのも一興です。

 

■城峯山(2020年8月2日) 目次

 

真夏の城峯山へ、皆野側からアプローチ

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 西武秩父駅から秩父鉄道へ乗り換える際、最寄りの御花畑駅にあるこちらの立ち食いそば屋「はなゆう」さん。ポテくまくんの看板が可愛いしずっと気になっているお店でした。

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今回の旅の起点である皆野駅発のバスまでは割と時間があったので、初めて立ち寄ることができました。

そういえば、8月1日から当面の間、新型コロナ対策の一環として計画運休が実施されていますので、公共交通機関を使う方は利用する鉄道の最新情報も事前に調べておくと安心です。(※2020年8月時点)

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注文したそばはすぐに出てきますので、タイトなスケジュールでもご安心。皆野方面へ向かう電車まで時間はたっぷりあるので、朝食を済ませた後は秩父駅までひと駅分移動します。シンプルで美味しいそばでした。

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秩父駅のロータリーには、ポテくまくんラッピングの市営バスが!!

バスといえば、ポテくまくんがバスにぎゅうぎゅうに詰め込まれるシュールな写真などがポテくまくん公式Twitterで見ることができますので、ぜひ。ポテくまくん可愛いよポテくまくん。

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皆野駅の看板は昨年の11月に新しくなり、駅名の下に愛称がつきました。前回の山旅で訪れた親鼻駅も新しくなっていましたね。

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バス停からは長瀞宝登山を望むことができます。桜と冬のロウバイの時季が人気の低山で、小さい子どもや家族でのハイキングにおすすめできます。

バスが到着すると、皆野駅から満願の湯や秩父華厳の滝などを経由して登山口まで。普段着のお姉さんを一人残してバスは終点へ向かって行きましたが、どう見ても登山者とは思えません。お姉さんは一体どこへ行くのだろうか…?

 

 

平将門伝説を訪ねて、関東ふれあいの道

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皆野側からアプローチする城峯山への登山口は、西門平バス停です。

このコースは関東ふれあいの道に設定されており、道中では平安時代の豪族、平将門(たいらのまさかど)の伝説を探ることができます。

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一見すると、平将門をもじったような字面の西門平(にしかどだいら)。乗客の方が「将門平」と間違えていたことからも、やはり将門を連想させる地名です。調べてみると、門平は“城の防ぎ門”に由来するとか。

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登山口から沢沿いの静かな道が続きます。盛夏の秩父とあっては滝のような汗を覚悟していましたが、しばらくは清流の涼しさに癒される道中でした。

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西門平から城峯山へのコースは、低山といえど高低差は600mほどあるため、なかなか侮れない登りです。沢沿いの道も終わり、鉄塔の建つ展望地点を過ぎればトリックアートのような植林地帯へ。ここにきて汗が吹き出します。

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ロープの張られた箇所を過ぎ、木の階段を登っていくと本日最初のピークである、鐘掛城(かねかけじょう)へ辿り着きました。

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山頂の案内板によれば、鐘掛城は戦国時代に秩父へ侵略した武田軍が周辺の山城とともに活用したとあります。しかし、その後の前田・上杉軍による寄居町鉢形城(はちがたじょう)落城と、豊臣秀吉の天下統一に合わせて廃城となったそう。

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また、将門伝説によれば、将門を追いかけてきた藤原秀郷がこの山に鐘を掛けて合図として用いたとも。あまり広さのない山頂ですから、一般にイメージされる城がここにあったとはとても思えません。もしかしたら、櫓のような建物を城と見立てたとか?

それはそうと、鐘掛城からの下りはとんでもなく急降下の階段です。逆コースだったらここで青ざめていたことでしょう…

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東屋とトイレがある石間峠に出れば、目指す城峯山は目と鼻の先。もうひと息です。

 

将門伝説、狼信仰、歴史を伝える城峯山

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冒頭でも書きましたが、城峯山の山頂に建つ展望台からは、秩父一帯はもちろん、360度の一大パノラマが広がるということで、ぼくもその展望を楽しみにしていました。

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ところが、山頂の展望台が見えたと同時に、真っ白な背景がぼくの期待を打ち砕きます。まあ、なんとなく予想はしていましたが、大展望はお察しの通りです( ;∀;)

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武甲山両神山といった埼玉の名峰たちはどこへやら、かろうじて直下にある城峯神社が見えるだけです。

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自慢の展望はお預けとなりましたが、以前からずっと訪れたかった城峯山に到達です。展望は空気の澄んだ時季にでも、紅葉・冬桜とセットでまた訪れたいと思います。

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山頂には展望台のほかにも、一等三角点が誇らしげに設置されています。県内の山では5箇所しかなく、その内の一つがここ城峯山ということです。

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城峯山から南尾根コースで麓に下りることも可能ですが、この先の城峯神社は城峯山を訪れた際に絶対に外せないスポットです。

広葉樹が多くみられる道をゆるゆると進んでいくと、日本武尊ヤマトタケルノミコト)を祀る城峯神社中宮が見えてきました。木と木に結ばれた注連縄は“神域”であることを示しています。

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中宮から城峯神社に直接下ることもできますが、ちょっと寄り道を。

ここは平将門にゆかりのある場所で、その名も「将門隠れ岩」。案内板によると、藤原秀郷に追われた将門がここ城峯山に城を築き応戦するも、さらに追撃する秀郷に敗走した際に身を隠した岩窟だそう。

将門は自身の影武者7人とともに捕まり秀郷を攪乱しますが、一緒に捕まり問い詰められた自身の妻である桔梗(ききょう)の白状により、正体を見破られ果ててしまいます。この時の桔梗への怨念か、今でも城峯山には秋の花は咲くが桔梗の花だけは咲かないというそうです。

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そんな隠れ岩ですが、鎖がかけられており『自己責任』で登ることができます。案内板にもその旨が注意喚起されており、観光気分で登るところでは決してありませんのでご注意を。ぼくも途中までで引き返しました。

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さて、スリリングな隠れ岩を後にし、大本命の城峯神社へ。 

この地で先の追撃戦を繰り広げた平将門藤原秀郷。その勝者である秀郷が藤原一族の氏神である春日四柱を勧請したと伝わっています。

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「将門」と大きく書かれた扁額を見ると、城峯神社は平将門も祀っている?と思ってしまいますが、御祭神は先の春日四柱とあります。この事柄についてネットで調べてみると、どうも城峯神社は江戸時代、東京・神田明神の奥宮だったという説があるとか。

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将門伝説のほかに、日本武尊にちなんだエピソードもあり、日本武尊とくればオオカミの存在がちらつきます。

やはり城峯神社も狼信仰の残る神社で、苔むした体に真っ赤な口、そしてまん丸とした金色の眼が特徴的な狛狼がいました。

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これは下山した石間地区で見かけたオオカミの護符ですが、人の流出に伴いボロボロの状態で残されていました。現在でも春の大祭では城峯神社で護符が頒布されているとのことなので、ぼくもいつか訪ねてみたいところ。

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ところで気になったのが、拝殿の脇にひっそりと佇むこちらの像。一見オオカミのようにも見えますが、実はこれはネコの像「お猫さま」だそうです。

建立は天保7年(1836)とされ、ネコは農産物を荒らすネズミを食べる動物ということから、ネズミ除けの意味があったと考えられています。また、秩父地域では江戸時代から養蚕が盛んだったということからも、やはり養蚕の天敵となるネズミ除け説が濃厚といえます。

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伝説の残る将門や秀郷、戦国時代の武将たち、狼信仰と養蚕に関わる人々、城峯神社から見える景色は、昔とどれほど変わったのでしょうか?多くの歴史を抱きながら今に伝える城峯山も、いよいよ下山です。

 

石間地区、秩父事件の舞台へ

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城峯山へ登るにあたり、前述した伝説や民俗と合わせて、もう一つ押さえておきたかったのが秩父事件のことです。

秩父事件とは、明治17年(1884)に起きた農民たちの蜂起事件です。自由民権運動が激化する中で起きた最大の事件ともいわれ、その発端は経済不況と政策の煽りを受けた養蚕、製糸を副業とする農家が困窮し、高利貸しの支配下に置かれたことにあります。

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そうした農民たちによって結成された組織は、ここ城峯山や吉田地区などを舞台に着々と武装蜂起の準備を進めていきました。もしかしたら、あの奥にある洞窟で作戦会議が行われていたのかもしれません。

農民たちはかつてない規模の人数で高利貸しを襲撃しますが、後に警官と軍隊により鎮圧されました。

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長閑な麓の集落を歩いてみると、とてもそんな暴動があったとは思えません。しかし、かつて起きた農民たちの記憶を宿す史跡が、ここ石間地区に点在しているそうです。

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まず見えてきたのが、城峯山への登山口近くにある石間交流学習館

館内には秩父事件の資料や研究物、養蚕関係の道具などが展示されているのでぜひとも立ち寄りたかったところですが、時間の都合で見送ります。ちなみに、入館には予約が必要です。

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道路脇で花が供えられているお墓の主は、秩父事件の主要人物である加藤織平。面倒見が良く、組織において副総理を務めた加藤は、武装蜂起の際は持ち前のリーダーシップを活かし陣頭指揮を執っていたそうです。

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同じく組織の幹部で、秩父事件後に起きた大阪事件などにも参加した落合寅市もこの地で眠っています。落合は後に「秩父暴動」といわれたこの事件を顕彰すべく活動した人物で、先の加藤織平の墓を建てたことでも知られています。

 

ほかにも吉田地区の椋神社をはじめとした、秩父事件に関する史跡や舞台が秩父には点在しています。近年、その史跡めぐりをする人が目立つ一方で、一部によるマナー違反や迷惑行為なども確認されているそう。

これらはただの歴史スポットではなく、当事者たちの活動や意義、功績を後世に伝えていく大事な記憶装置ともいえるものです。何より、お墓参りはマナーや敬意をもって、親族関係者の迷惑にならないようにしたいところです。

 

噂の古湯、千鹿谷鉱泉の歴史に幕…?

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秩父事件の舞台である石間地区を歩いてきましたが、城峯山登山口から灼熱の舗装路を延々と6㎞超は、なかなか堪えるものがありました。たまらず自販機で購入したスプライトが体に沁みます。

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さて、城峯神社の社号標のあるバス停から吉田地区方面へ行けば、西武秩父駅まで楽に戻ることができます。ですが、ぼくにはどうしても外せない場所が、むしろこれが目的でここまで来た!というスポットがあるのです。

 

秩父の山奥にある秘湯、千鹿谷鉱泉をご存じでしょうか?新木鉱泉和銅鉱泉と同じく、秩父七湯”に数えられる歴史ある温泉なのですが…一方では、そのあまりにも鄙びた雰囲気や山奥という立地が秘湯として温泉マニアに受け、なおかつヌルスベの泉質は文句なしという穴場的な温泉なのです。

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ぼくもぜひ入りたい温泉として、山旅ついでに機会を伺っていました。しかし、今年に入り廃業してしまうという情報が入り、ひどくショックを受けてしまいます。

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そんな中、千鹿谷鉱泉旅館の解体までの期間、件の温泉が無料開放されるという信じられない情報が飛び込んできたのです。(※9月現在は終了)

一度は諦めましたが、こんなチャンスは二度とない。全ての予定をキャンセルし今回の城峯山への山旅を計画しました。

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無料開放とありますが、感謝の気持ちを収めていざ噂の秘湯へ。

~~~~ッこれですこれ!この雰囲気、そして極上のヌルスベ湯!嬉しくもありますが寂しくもある、好きなだけ独泉してしまおう。

旅館の書き置きによれば、いつかまた何かの形で再開できたらとあるので、もし千鹿谷鉱泉が復活したならば再訪は必至です。

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温泉で気持ちよく汗を流したのに、外に出ると再び汗が吹き出します。残念ながら吉田経由のバスの時間が合わなかったので、ちょっと歩いた先にある小鹿野経由のバスにて帰途につきます。

それにしてもよく晴れていますね。どうして城峯山は真っ白だったのだろうか?

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小鹿野経由で帰る場合に楽しみなのは、やはり名物であるわらじカツ丼。さらに、今の時季だと地元の名水で作った毘沙門氷も最高です。

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バス停近くにあるお店にウキウキしながら入ると、なんと準備中…気を取り直して、毘沙門氷が食べられるほかのお店に行きましたが、よく見るとスナックでした…今日はもう諦めよう。

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ただ、そうなるとわらじカツ丼は意地でも食べたい!そこでおすすめなのが小鹿野庁舎近くにあるこちら、「東大門」さん。

訪れるのは二度目で、精肉店直営なので良質な肉のわらじカツ丼がなんとも美味。ただでさえビッグサイズですが、さらにこの上をいくメガ盛りもあるというサプライズ付き。いつか食べてみたいものです。

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お腹も満たして、付近のJAにてお土産を購入。ぼくは秩父に来ると毎回このみそポテトチップを買っています。おそらく、過去の秩父の山旅記事のほとんどに登場しています。でもそれほどやみつきになるのです。

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帰りのバスからは、きれいに武甲山のシルエットが見えました。前回の蓑山でもそうでしたが、やはり武甲山が見えると安心します。そろそろ登りに行きたいな。秩父は何度訪れても楽しい、そんな山旅でした。

 

城峯山の山旅、終わりに

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展望こそ残念となりましたが、山中に抱かれた歴史や伝説の数々、養蚕やオオカミにまつわる民俗などからも、城峯山は非常に歩き応えがありました。紅葉も美しい山とのことなので、秋に展望も期待して再訪したいところです。

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また、麓に点在する史跡を訪ね、激動の秩父に思いを馳せるのも、また一つ秩父の魅力を知るうえで非常に良い体験になりました。念願の千鹿谷鉱泉もいったんはその歴史に幕を閉じましたが、いつの日か復活することを願います。

 

次の山旅はどこに行こうかなぁ。