現在では絶滅してしまった動物の一つに、ニホンオオカミがいます。かつて日本の山中に棲息していたオオカミは、山の生態系の頂点に位置し、時には神様、または神様の使いとして人々から尊ばれてきました。
埼玉県の秩父地域には、今でもオオカミの足跡を色濃く残す場所が多く見られます。今回は、秩父・三峰山を歩きながら、オオカミの物語を辿っていきたいと思います。
どうも、スラ男です。
山を歩いていると、数多くの歴史や神話、伝説などを目にすることがあります。
それらは人里に近い低山に多く見られ、今日まで語り継がれていることに深く感銘を受けます。先のオオカミもまた、山の中で出会えるものの一つです。
埼玉県西部・秩父エリアは、四季折々の花と歴史ある社寺仏閣が調和する、絶好の“ハイキング×歴史”スポットとして人気を集めています。
都心からほど近く、手軽にレジャーが楽しめる秩父ですが、町や山を歩いていると何やらオオカミのような狛犬や御札があることに気が付きます。
今なお秩父にしっかりと息づくオオカミの存在。その魅力に迫ります。
オオカミと三峯 目次
西洋と日本で異なる、オオカミの文化
オオカミというとどんなイメージをお持ちでしょうか?今から100年ほど前に絶滅してしまったとされる動物ですから、動物園で実物を見ることは出来ず、その姿は文献や資料、民話、創作の中でのイメージが強くあります。
例えば、西洋の童話『赤ずきん』や『三匹の子豚』では、ずる賢く知恵を働かせ、主人公らを大きな口で食べようとする“悪役”として描かれています。
また、北欧神話に登場するフェンリルは神々と敵対するオオカミの怪物として描かれ、中世ヨーロッパにおいてはジェヴォーダンの獣や狼男など、オオカミのような未確認生物が人間の敵として登場します。
牧畜が主流だった中世の西洋文化においては、家畜を食べてしまうオオカミという存在は、人々にとって忌むべき存在と考えられていたのかもしれません。
一方、古来より農業を営んできた日本において、オオカミは田畑を荒らす害獣を食べてくれる“益獣”として畏敬の念を抱く存在だったといいます。オオカミを漢字で書くと「狼」。「良い獣」ということが字からもわかります。
『日本書紀』では、東征の英雄・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が三峯を訪れ道に迷った時、助けてくれたのもオオカミでした。その出来事に感謝し、ヤマトタケルはこの地に伊弉諾尊(イザナギノミコト)、伊弉册尊(イザナミノミコト)の二柱をお祀りし、オオカミを神様の使いとして定めたといいます。
遥か昔の弥生時代、オオカミの骨などが神事や装飾の道具として用いられていたというから、あるいはその頃からオオカミは神様の使いとしての片鱗を見せていたのかもしれません。
そういった歴史を踏まえ、オオカミは人間によって神格化され、ついには山の神、または大神(おおかみ)としての側面を持つようになったのです。
神格化されたオオカミ、狼信仰の普及
時代は過ぎ、1720年(享保5)に日光法印という僧が三峯に入り、現在の繁栄の基礎を固めたといいます。オオカミを御眷属様とし、オオカミの御札を配布する狼信仰(※御眷属信仰とも)が始まったのもこの頃だそう。
オオカミは山の生態系の頂点に君臨し、田畑を荒らすイノシシやシカを食べることから害獣除けに霊験ありと、三峯神社を中心とした狼信仰は全国に広まりを見せました。
同時に、三峯講が組織され、三峯神社へ参拝する信者も全国的に増えます。火災都市と呼ばれるほど大火の多かった江戸においては、狼信仰はオオカミの持つ危険察知、撃退能力にちなみ、火防、盗難防止の意味合いも含むようになったといいます。
御眷属様の本来持っていた意味合いが、人間の都合で時代とともに移り変わるその様は、どこか妖怪・天狗に通ずるものがありますね。
恐怖の病と妖怪・虎狼狸、狼信仰の再燃
時代は流れ、1822年(文政5)。正体不明の恐ろしい病が世界全体を巻き込もうと、徐々にその勢力を拡大させていきました。インドから世界に広がり、外国との貿易で日本にも運び込まれた病は、西日本で甚大な被害を出しました。
今日、「コレラ」と呼ぶその病気は、汚染された水や食べ物を摂取することにより感染する、経口感染症の一つです。感染者は、急激な脱水症状によりもがき苦しみながら死んでしまうといいます。そのあまりに凄惨な姿から、人々に恐怖を植え付けました。
1858年(安政5)から1862(文久2)にかけて、江戸の町も含む世界中で再びコレラが大流行し、多くの命が失われました。当時は、狐狸の類に化かされたように急死するため「狐狼狸(ころり)」や、高名な学者が「虎」の字をあて「虎列刺(これら)」とし、その病の脅威を表現しています。
また、この恐ろしい病気は、妖怪変化のしわざだとした噂も流れたといいます。1886年(明治19)の錦絵『虎列刺退治』では、虎、狼、狸の姿が混じり合った妖怪・虎狼狸(ころり)が描かれています。
未曾有の被害を撒き散らすコレラ。この原因不明の伝染病を前に、医学的な対策が整っていなかった当時の人々は、神仏への信仰で立ち向かいます。
三峯神社の狼信仰の再燃です。
上述のように、コレラは狐狼狸(ころり)とも呼ばれていたことから、キツネやタヌキの天敵となるオオカミが、この病魔を打ち払うと信じられたのです。三峯神社の記録によれば、この時期、江戸の多くの人々が参拝し、御眷属様を拝借したそうです。
しかし、皮肉にもこの狼信仰の再燃が、ニホンオオカミ絶滅の一因になったとも言われています。狐狼狸を狐憑きの類だとすれば、その憑き物落としに使われた道具はオオカミの頭骨などでした。
道具の調達のためにニホンオオカミを狩り、また同時期に海外からやってきた狂犬病などの病気により、人間に駆除されてしまいます。ほかにも複合的な要因が考えられますが、かつて山の神とまでされたオオカミは、明治期になりその姿を次第に消していったのです。
絶滅した現代でも、確かに息づいているオオカミ
ニホンオオカミが絶滅されたとする1905年から100年あまりが過ぎた現代。秩父・多摩地方では今でも狼信仰が根付いており、三峯の麓、贄川で出会った方によれば、昨今の社寺・御朱印ブームや妖怪ブームと相まってか、三峯神社へ参拝する人は年々増えているそうです。
もしかしたら、ニホンオオカミは今も山中にひっそりと生き続けているかもしれません。秩父でオオカミの足跡を辿るうち、あるいは道に迷ったり危機に瀕したりした際に、その霊験を感じることがあるかもしれません。
これからも、狼信仰が絶えず信じられてほしいと願います。
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