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なまけたろうと登山ブログ

【妖怪山歩】神か妖怪か、高尾山・天狗物語

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日本を代表する妖怪の一つに「天狗」が挙げられます。一般的に赤ら顔で鼻が高く、修験者の装いに翼を持った姿で描かれている天狗ですが、妖怪としてだけでなく、時に神として、仏として、あるいは流星としても語られていたといいます。

ではその正体は一体何なのか?今回は、多くの天狗伝説が残っているという東京・高尾山を歩きながら、天狗のルーツを辿っていきたいと思います。

 

 

どうも、スラ男です。

 

 

山を歩いていると、数多くの歴史や神話、伝説などを目にすることがあります。それらは人里に近い低山に多く見られ、今日まで語り継がれていることに深い感銘を受けます。先の天狗もまた、山の中で出会えるものの一つです。

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高尾山薬王院の迫力ある天狗像

 

東京都八王子市にある高尾山は、都心から手軽にアプローチできるハイキングのメッカですが、一方で“天狗の棲む山”としても知られます。

道中に点在する天狗たちに触れながら、その魅力に迫ってみましょう。



天狗と高尾山 目次

 

謎多き天狗、そのルーツを探る

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高尾駅の中央線ホームにも巨大な天狗が


天狗というと、山に棲んでいる妖怪、あるいは神様というイメージですが、そのルーツを辿っていくと、日本だけでなく中国やインド、山岳信仰、芸能や文学作品など、多くの要素を含みながら語られ、伝えられていることがわかります。

「天狗(てんぐ)」という漢字から紐解いてみると、天の狗(いぬ)となり、中国では流星を指す言葉でした。天を駆ける流星の轟音を犬の咆哮に例え、「天狗(てんこう)」という妖怪が生まれたといいます。

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金毘羅台から望む朝日

 

この中国の妖怪は、『日本書紀』によれば都の空を流れた流星に対し、中国から帰国した学僧が「あれは流星ではない、天狗だ」と言ったことから日本に伝わったとされるようです。

しかし、天狗(てんこう)は獣の姿をしていますので、現在の天狗とは全く異なるイメージをしています。一体どのような変遷を経て姿を変えたのでしょうか。

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猛禽類のような姿で描かれる天狗(国際日本文化研究センター所蔵)

 

天狗の再登場は、意外なことに時間を空けた平安時代になってからだそう。

天狗は文学作品で語られるようになり、“山中で起きる怪異”という共通の特徴をもっています。この頃から、天狗は山の中にいる精霊、もしくは祟りのような妖怪として捉えられ、鳶が化けた鳥のような姿で描かれています。

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参道にある天狗の腰掛杉が登山者たちを見守る

 

山の中にいる精霊というのは、現在の天狗が持つイメージと近いですね。高尾山参道にも、たこ杉腰掛杉など、天狗伝説が残る巨木が点在しています。

しかし、武家中心の社会となるにつれ、天狗には政治的な性格が加味されていきます。僧の修行を邪魔する仏教の敵や、戦乱により亡くなった者が怨霊となり蘇る存在を天狗とみなしたというから、何やら不穏な気配が漂ってきます。

 

天狗と山伏、芸術文化との融合

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山伏姿に団扇と翼を持つ天狗像

 

邪教や怨霊としての天狗が見え隠れしている一方で、時代の移り変わりとともに天狗には山伏法力といった、修験者としての要素が付け加えられます。

聖なる山で厳しい修行を終えた山伏の姿は、民衆からすれば精霊か何かに見えてもおかしくはないでしょう。山伏は里人にその教えを説き、民衆から畏れを集め天狗として祀り上げられたのかもしれません。

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天狗を探しながら、茶屋のだんごで一服

 

さらに時代は進み、天狗は芸術の分野でも人気の存在となっていきます。田楽や能楽が流行し、「天狗物」という天狗を題材とした能楽が多く作られました。その中の一つ、「鞍馬天狗」においては、後に八大天狗と呼ばれる名のある天狗たちが登場します。

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長い鼻の代わりにクチバシが特徴的な烏天狗

 

八大天狗の中には、髭面で強面の山伏や鼻の長い年老いた僧侶、鬼のような姿をした者も。そして翼とクチバシを持った山伏の姿をしたのが、この烏天狗(からすてんぐ)。この烏天狗こそ、鼻高天狗より以前に一般的な天狗の容姿だったといいます。

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薬王院御朱印は飯綱大権現の墨書き

 

カラスのようなクチバシを持つ天狗に馴染みがない方もいるかと思いますが、高尾山薬王院のご本尊である、飯縄大権現(いづなだいごんげん)の姿は、炎を背負う烏天狗の姿をしています。炎を背負うという点では不動明王を想像しますが、飯縄大権現はその不動明王の化身だそうです。

また、飯縄大権現は、長野県にある飯綱山(いいづなやま)に棲まう天狗、飯綱三郎(いづなさぶろう)そのものだといわれています。

 

かつて妖怪の類とされてきた天狗は、時代の変遷、山岳信仰や芸術文化との融合によって神仏として人々から崇められるようになったのです。

 

神様としての天狗、そして現在の姿へ

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火防の力を持つ天狗の団扇

 

江戸時代以降になると、天狗は団扇で炎を操る火防の神様としても崇められていきます。火災の多い江戸時代ならではの信仰といえますが、同時に天狗がいかに人々に大きな影響を与えた存在だったかが伺えます。

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薬王院からもうひと登りで高尾山山頂へ

 

一方で、怪異としての天狗も健在で、「天狗さらい」「天狗礫」といった伝説がここ高尾山には残っています。天狗さらいは現在の神隠しのようなもので、人間が突如いなくなる原因は様々ですが、それらを天狗のせいと一括にしてしまうほど、当時の天狗が強大な存在であったことの裏付けともなります。

そういえば、現代においても、少し前の妖怪ブームの際に都合の悪いことを「妖怪のせい」にしてしまう、というような事柄が取り上げられたような…

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高尾山の先、小仏城山でも天狗の面を発見

 

ところで、現在の天狗の一般的なイメージである鼻高天狗は、一体どこからやってきたのでしょうか?

江戸時代、大きな例祭で鼻の高い赤ら顔の先導役が登場し、人気を博します。一本歯の下駄に錫杖を持った鼻の高い大男の姿は、まさしく現代の鼻高天狗そのもの。

これは、日本書紀天孫降臨において道案内を務めた神・猿田彦命(サルタヒコノミコト)が天狗の原型とされる説によるものと推測されます。神話に登場するサルタヒコの姿が、現代で修験道を極めた山伏の姿と重なり「鼻高天狗」という一つのイメージができあがったのでしょう。

 

時代とともに姿を変えた、畏れ多き存在

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中腹の展望デッキから都心を望む

 

高尾山には、天狗像や天狗伝説のほかにも、天狗にちなんだ商品やグルメが山ほどあります。かつて本当に“天狗が棲む山”とさえ思わせた聖なる山は、こうして現代においても天狗が息づいております。

この山に棲んでいた天狗たちも、かつての江戸の町をこうして眺めたのでしょうか。そんな思いを馳せながら、下山後のひと風呂まで天狗尽くし。いやはや全く恐れ入ります。

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高尾山温泉入口の天狗に見送られ帰途へ

 

時に流星、時に妖怪、時代を移し神か仏か。謎多き天狗の正体は、いつの時代も畏れ多き存在であることは間違いありません。

これからも、天狗という魅力的な存在が、絶えず語り継がれてほしいと願います。

 

 ■高尾山の天狗を訪ねた山旅記事はこちら

surao.hatenablog.com