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なまけたろうと登山ブログ

【秩父】猪狩山~秩父御岳山 オオカミ息づく歴史トラベル

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秩父地方に息づく狼信仰に惹かれるものがあります。およそ100年前に姿を消したニホンオオカミが、今でも確かな形を残していること。そんなロマンを感じるべく、秩父猪狩山(いかりやま)を目指しました。

麓の集落にはヤマトタケルやオオカミの伝説が残っており、山登りをする前からたっぷりと歴史ロマンを感じることができます。隣接する秩父御岳山(ちちぶおんたけさん)まで足を伸ばして、信仰と歴史の山旅が始まります。

 

どうも、スラ男です。

 

今回は、秩父鉄道三峰口駅近くにある標高1,080mの秩父御岳山を、隣接する猪狩山から登った時のお話です。

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猪狩山のある集落には狼信仰が息づいており、その足跡をたどりながらの山旅を楽しむことができます。また、猪狩山を超えた先に待つ秩父御岳山の山頂からは、両神山が間近に迫るとっておきの展望が待っています。

いつか登りたい埼玉の百名山、近くに見えて、道のりは遠く…

 

■猪狩山~秩父御岳山(2019年12月14日) 目次

 

三峰口から猪鼻探訪、麓に残る伝説

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12月半ばの早朝。池袋始発の西武線は、乗り換えの飯能駅で待つことになりますが、早ければ西武秩父線も始発から終点まで座ることができます。

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その座れた時間を有意義にさせてくれるのが、本です。山旅の移動時間はもっぱら読書に費やします。谷川彰英さん著の『埼玉地名の由来を歩く』、非常に読み応えのある本でした。

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終点の西武秩父駅に着いたら、秩父鉄道に乗り換えて三峰口駅を目指す…そのルートがスタンダードですが、今回は駅前ロータリーからバスを使っちゃいます。

なぜなら、おなじみの「秩父漫遊きっぷ」を使えば、西武観光バスも乗り放題となるので、鉄道利用よりも若干のコストダウンが図れるのです。

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しかし、乗り込んだバスが三峯神社行きの急行バスだったため、クーポンが使えず。そのすぐ後に本来乗る予定だった通常バスが来ました。

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ですが、クーポンは祭の湯のお土産代としても使えるので安心です。本当に便利なので、秩父に行くならとりあえず入手しておくべきですね。

さて、三峰口駅から猪狩山の登山口までは路線バスが出ているのですが、ぼくはそのバスを見送って、歩いて向かうことにします。

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まずは白川橋を渡ると、水量こそ少ないですが、秩父荒川の風景が眼下に広がります。この荒川が、東京の荒川とつながっているというのは未だに信じられません。それほどの自然美があります。

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橋を渡りきり、進行方向は右手側なのですが、ここで反対の左側へ。進む先の猪鼻地区には、日本武尊ヤマトタケルノミコトの伝説が残っているというから立ち寄らないわけにはいきません。

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10分ほど歩いた先に、猪鼻熊野神社が見えてきました。この神社は、ヤマトタケルが東征の折、三峰山から下りてきたところ出くわした大イノシシを退治し、それは神の御加護があったからだとお祀りしたことが縁起だそう。

その際、討ち取った大イノシシの鼻が落ち、この地は“猪鼻(いのはな)”と呼ばれるようになったとか。あるいは、退治した大イノシシは、実はこの地を荒らしていた山賊たちで、山賊の上に落ちてきた巨岩がイノシシの鼻に似ていたことが由来という説もあるそうです。

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そのことに大喜びした里の人たちは、ヤマトタケルにごり酒でもてなしたといいます。しかし後年、里で疫病が蔓延してしまいます。

そこで、ヤマトタケルの故事にちなんで、お酒をかけあって疫病を流したというのが、奇祭・猪鼻の甘酒まつりの起こりだそうです。

ふんどし一丁の男衆が甘酒をバシャバシャとかけあう様子を、ぜひ生で見てみたいものですが、それはまたの機会。

 

かかしの里と猪狩神社、オオカミとヤマトタケル

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猪鼻熊野神社への参拝後は、来た道を戻ります。白川橋の分岐を贄川宿方面へ行けば秩父往還贄川宿(にえがわじゅく)

かつて、三峯神社への参拝客や、甲州へ向かう商人などの宿場町として栄えた場所だそうで、かの宮沢賢治や「日本地質学の父ナウマン博士も立ち寄ったとか。

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贄川宿観光トイレの先が秩父御岳山の最寄り登山口ですが、今回は猪狩山を経由していくので見送ります。

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三峯神社まで直行便のバスが出ている現在では、往時の賑わいを想像することはできません。しかし、かかしの里として、道中でかかしが登山者を見送ってくれるのが何だか嬉しい。ほっこりします。

中には、あまりに違和感なく風景に溶け込むかかしもいたりして、本当に子どもが遊んでいるように見えたりも(笑)

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贄川宿のかかしに見送られた先、上り坂の左手側に小さなお社があります。なんでも、こちらの神社には狛狼がいるそうなので立ち寄ってみると、牙を剥き出しにした鋭い目つきのオオカミ像が!

往時の賑わいもなく、静かな贄川宿でしたが、こうしてオオカミ像を見ると、狼信仰が確かに息づいていることが間近に感じられました。

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車道を歩いていると、開けた前方に均整のとれた三角形の山が見えました。『オオカミの護符』の著者、小倉美惠子さんは、この山を見て思わず「あ、男具那ノ峰!」と言ったそう。

ちなみに、男具那ノ峰(おぐなのみね)は東京・御岳山の奥の院のことで、同じく美しい三角形、同じくヤマトタケルにゆかりのある場所です。富士山や相模大山よろしく、形の美しい三角形の山は古くから信仰の対象にされたといいますが、男具那ノ峰や猪狩山にも同じことがいえそうです。

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猪狩山へ向かうには、トンネルを抜けた先にある古池耕地(秩父では集落のことを耕地と呼ぶそう)にある、猪狩神社が登山口です。 

そば福さんの看板が目印になりますので、のどかな民家の間をそろそろと歩いていくと、はて、この辺りに大きな鳥居があったような…?

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ひんやりとした空気と森の音が濃くなってきたら、いよいよ猪狩神社が目の前に迫ります。長い石段の両脇に鎮座するヤマイヌ型の狛狼は、狼信仰が息づいている何よりの証拠です。

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まさしく想像通りのオオカミ!というこちらの狛狼。実は、この神社に運ばれてきた際に、本物のオオカミに取り囲まれてしまったという逸話があるそう。さらに遠吠えも聞こえたというから、もしかしたら山に棲んでいたオオカミたちによる歓迎だったのかもしれません。

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この猪狩神社もまた、ヤマトタケルが東征の時に、この地を荒らしていたイノシシを退治した故事にちなんで、後に日本武尊が合祀された神社です。「猪狩」とはつまり、猪を狩るものヤマトタケルのことだったんですね。 

そんな猪狩神社の社殿を見上げてみると、なにやら黒ずんで見えますが…?実はあれは「経文」で、神仏習合時代の名残りだそう。神社の隣には、徳川家の葵御紋の入ったお堂もありましたが、その辺りの由緒は残念ながら不明です。

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神社を見学していると、ぼくの他にも参拝者が一人。登山装備ではないので地元の方かな?と思い声をかけてみると、なんとその方は、『オオカミの護符』で紹介された猪狩神社の宮司を務めるお方でした!

小倉さんの本を読んで来た旨を伝えると、とても喜んでくださり、本の中に書いてあったお人柄そのままでした。「今年の台風で、参道の鳥居が倒れてしまったんですよ」と教えてもらい、なるほど、“鳥居の消失”の謎が解けました。

 

「春のツツジが咲く頃の例大祭は良いですよ。ぜひ来てください」と宮司さん。これはまさにオオカミのご縁だと感じずにはいられません。しばらく話し込んだ後、宮司さんとお別れし、いよいよ猪狩山を目指します。

 

侮るなかれ、紅葉と急登の猪狩山

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猪狩山への取り付きは、拝殿の左奥にひっそりとあります。台風による登山道被害は見られず、これなら例大祭の時も安心して登れたんだろうな…と、のんきに思っていたのが大間違い!

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この登山道の急登加減といったら、奥多摩稲村岩尾根を彷彿させるレベルです。加えて12月上旬という時季、堆積したフカフカの落ち葉がすべるすべる。軽い気持ちで登り始めて、一気に汗が吹き出してきました。

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猪狩山の山容を捉えた時に確信しましたが、この山は広葉樹に覆われた紅葉の素晴らしい山です。今回、紅葉のことは考えていなかったのですが、これはラッキーですね。

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最盛期には間に合わなかったので、足元には落ち葉がたっぷりと積もっており、これが曲者。前述の通り、何気なく踏みしめるとズルっとすべります。加えて、登山道を隠してしまうこともあるので要注意。

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紅葉は素晴らしいけれど、道は細く、急勾配。岩や鎖も出てきます。この登山道を、「お炊き上げ」といって、例大祭の時にはお供え物を持って参拝者たちが登っていくというのだから驚きます。春には落ち葉も均され、いくらか登りやすいのでしょうか…?

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額に滲んだ汗をぬぐって、猪狩神社の奥宮に到着です。件の例大祭はこの場所で行われるそうです。見てみると、お炊き上げの形跡がありました。

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奥宮から尾根伝いにゆるりと登っていくと、何やら大量の書き込みが見られる道標が。猪狩山に✖がついていおりますが、なぜ?

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少し歩いた先のピークにその答えがありました。山火事への注意喚起の看板にそっと「猪狩山」の文字が書き込まれています。うーん、でも地図だとここは鞍掛山というピークになっています。

どっちが猪狩山で、どこが鞍掛山?という真相ははっきりしませんが、ぼくとしては猪狩神社奥宮の鎮座していた場所が猪狩山であってほしいですね。

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さて、先ほどのピークからいったん高度を下げていきます。露岩の上にロープが垂れ下がり、静かな緊張感が漂います。なにせ、周りには誰もいませんので…ここまでですれ違ったのはたったの一人だけです。

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落ち葉を踏む音、小枝の折れる音、たまに深呼吸。冬枯れの登山道の賑やかさを独り占めできる時間が続きます。森林管理道御岳山線との分岐に差し掛かれば、目指す秩父御岳山まであと半分くらい。再び呼吸を整えて、おお、今度は階段ラッシュか…

 

普寛行者ゆかりの地、秩父御岳山

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依然、登りが続いていますが、猪狩山のような急登でないのが救いです。北面は景色も開け、木々の隙間から覗く山岳展望を楽しみながら一歩また一歩。

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痩せ尾根を歩いていると、タツミチという変わった名前の分岐へ。ここから贄川宿にあった登山口へと繋がります。うーん、タツミチ…何だ?

それにしても、目指す「御岳山・大滝」を見ていると、何だか奥多摩にいるのかと思ってしまいます。

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タツミチから登り続けること約30分。ついに秩父御岳山の山頂を捉えました!

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秩父御岳山は、2014年の噴火が今なお衝撃的な、木曽御嶽山(きそおんたけさん)の開祖・普寛行者(ふかんぎょうじゃ)によって江戸時代の末期に開山されたそうです。普寛行者は、一般人が霊山への登山ができなかった時代、その習慣を打ち破って大衆登山を可能とした人物として、麓の案内板で紹介されています。なぜなら、秩父御岳山の麓・落合地区こそ、普寛行者生誕の地なのです。

さて、普寛行者へのお礼も兼ねて、山頂にある鐘をゴーンと鳴らすと、よく響いて焦ります。周囲はぐるりと開放的で、遠くの名山秀峰がよく望めます。

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北関東方面は、左から御荷鉾山(みかぼやま)、その奥で冠雪しているのは谷川連峰だろうか、木を挟んで手前に城峯山と奥に赤城山など。

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秩父側も見事です。左から2つ目の三角が雲取山、中央に飛龍山、右側に和名倉山がどっしりと。雲取山から先は全くの未踏なので、どんな山の雰囲気なのか、想像もつきません…

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しかし、この秩父御岳山に来て一番輝いて見えるのは、やはり正面に座す両神山(りょうかみさん)です。格好いいのはもちろん、神々しさまで感じて取れる聖なる山……いや、浸っちゃいますね。

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普寛行者への感謝と、極上の山岳展望を楽しんだら、いよいよ下山です。来た道を少し戻り、強石コースを経て落合を目指します。落合へ直接下るコースもあるにはありますが、2019年12月現在は崩落のため通行止めです。

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序盤は土色の登山道が続きますが、段々と道幅は狭まり、ロープ、鎖、岩場のミックスされたアスレチックな登山道へと変貌します。これでは強石(こわいし)ではなく、怖いし…です。

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これでもか!といわんばかりにアスレチックと緊張が続きますが、大きな反射板のあるところを過ぎたところで大展望が待っていました。

秩父といえばおなじみ武甲山(ぶこうさん)が見えると、やっぱり秩父の山旅なんだなぁ、とぼくの中でルーティンとなりつつある気持ちの整理が。秩父の山に登ったら、やっぱり武甲山だけは捉えたいですからね。

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4本の大杉に囲まれた杉の峠では、苔生したお地蔵様が静かに見守っています。普寛行者はどんな人だったのですか?聞いても返事などはありませんが…

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さて、杉の峠から落合へ至る道はちょっとややこしくて、この通行止めの看板の左脇にある小道を下っていきます。

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沢を渡り、林道に出れば後は落合までゆるりと下っていくだけ。ぼくの頭の中はお楽しみの温泉でいっぱい。ですが気は抜かず、ああでも早く温泉に入りたい…(*´∀`*)

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下山した落合にある、普寛行者を祀る普寛神社へのお参りも忘れずに。

ちなみに、普寛行者が開山した木曽御嶽山の王滝口。これは、自身の郷里である大滝の名前がそのままあてがわれています。もしかしたら、なかなかのロマンチストだったのかもしれません。

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山旅と歴史旅をたっぷりと満喫したら、もう後は何も考えずに温泉にドボン。本日の締めは、道の駅大滝温泉にある遊湯館です。

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こちらの温泉は、以前立ち寄った三峯神社内にある三峯神の湯と同じですが、その違いはずばりロケーションです。1階と地下に別れた珍しいパターンで、1階は檜の大浴場から、地下は半露天の岩風呂から目の前の荒川が望めます。泉質の良さは言うまでもなく、トロリトロリと肌に染み入る美肌の湯。もう何も考えたくない。

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極上の温泉を堪能した後は、さすがにお腹が減りました。道の駅の食堂で名物・中津川いもを楽しみにしていましたが見当たらず…?代わりに、そばとみそポテトのセットでフルコンボ。あもう美味いッ!

帰りのバスが車でかなり時間があったので、道の駅内に併設されている大滝歴史民俗資料館でお勉強。入っていきなり超リアルなお爺さんの人形に悲鳴が出ましたが、なかなか面白かったです。

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そうそう、祭の湯に着いたら漫遊きっぷのクーポンを使わないと。やっぱりしゃくし菜と~、みそポテトチップと~、いつもと変わらん

 

猪狩山~秩父御岳山の山旅、終わりに

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猪狩山と秩父御岳山、決してメジャーな山ではないと思いますが、ヤマトタケル、オオカミ、そして普寛行者と、土地に残る伝説や歴史を追いかけての山旅は本当に面白い。また、それらを教えてくれる人たちに出会えるとより素晴らしい。今回の山旅は、そのことを教えてくれました。

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特に、秩父とオオカミ、オオカミとヤマトタケル、このセットは切っても切れないような関係にあるんじゃないかと感じられますので、今後の山旅でも注目していきたいところです。

 

さあ、次はどこに行こうかなぁ。